間宮のコラム まみこら vol.17
世の中が知らないことを伝える仕事(2)

間宮 洋介

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今回ちょっとタバスコ入りかもしんない

昨日のコラムの続きです

 

昨日は失礼しました。SXSW(サウスバイサウスウエスト)についてのふたりのジャーナリストの感想が全く違ったのが興味深かった、という話の続きです。昨日は、そのうちの一人、Aさんの「新しい課題も発見もなかった」という感想をご紹介したところまでですね。それに対し、Bさん(この方はかつて雑誌/デジタルメディアの編集長をやられていた方でした)の感想はこういうものでした。「それほど簡単に解けるわけではない課題を改めて言語化しテーブルに乗せ、世界中のさまざまな人たちが、さまざまな観点で議論し、さまざまなアプローチで解こうとしていたし、その中でも『新しい解き方』を色々知ることができて興味深かった」「世界中から簡単には解けない課題を解こうとしている人たちをその場で会わせた、というだけでも意味があると思った」。なかなか真逆ですね。それが興味深いなと思ったわけです。

 

 

 

普遍的な課題が扱われていた今年のSXSW

 

ただ、今回、SXSWを見て、Aさんが抱いた違和感もわかる気がします。今年扱われていたテクノロジーに関するテーマは、例えば「AIは人間の将来を幸せにするか」「テクノロジーは医療や健康にどのように貢献できるのか」など、比較的、普遍的なものが多かく、確かに「見たことも聞いたこともないような先進技術の展示」は少なかったように思うからです(それはSXSWというイベント自体が変質してきた、ということなのかもしれませんが)。さまざまなドキュメンタリーを制作してきた彼にとって、それらは「もう何年も前に番組にした(=自分の中では世の中に問題提起した)課題」だった、ということだったのでしょう。彼にとって、「何年も前から議論されている課題」は「新しくない=世の中に伝えるに値しない」ということなのだと思います。一方で、SXSWを毎年視察されているBさんは「今年もまた、世界は動いているし、新しい発見はいっぱいあった」と言っていた。つまり、Aさんにとって「課題」とは「提示するべきもの」で、Bさんにとって「課題」とは「解くべきもの、もしくは解こうとするべきもの」だということです(と、自分が「そう感じた」という話ではあるのですが)。

 

 

 

「知らないこと」を「恥」と思うか「楽しい」と思うか

 

ふたりのスタンスの違いのふたつめは、「知らないこと」への感じ方の違いだと思いました。オースティン滞在中と先日の事後報告会の場で、そのふたりの対照的な発言がありました。SXSWはもともと音楽イベントだったこともあり、夜になるとそこかしこでさまざまな著名なミュージシャンのライブが行われます。その会場の一つに、海外では著名になった日本発のガールズバンドが出ていました。Aさんはそのバンドのことを知らなかったらしく、ただ、一目で(一晩で)好きになり、めちゃめちゃハマっていました。現地でもそのバンドのことを熱く自分たちに教えてくれていたのですが、帰国後、実は、彼の勤務する放送局で、そのバンドについて、以前にドキュメンタリー番組を制作していたことがわかったそうです。先日の報告会でAさんは「いや、実は恥ずかしながら、我が局で前にドキュメンタリー番組を制作していたらしく、、、いや、知らなかったことは実に恥ずかしい」と発言されました。なるほど、彼にとって、「知らないこと」は恥なんだな、と、Aさんのジャーナリストとしての心意気はそこにあるんだな、と改めて思いました。一方、報告会が終わったあと、グループチャットにBさんが送ってきたメッセージは印象的でした。報告会で自分たちが話したトピックスの最新情報をシェアしてくれたのち、「世の中、知らないことばかりでほんと勉強になりますな笑」と書いてきました。彼にとって「知らないこと」は「ワクワク」なんだと思いました。このふたつの、別々の”スタンス”をもつお二人の話や感想を聞いて、自分が”ジャーナリズム”について、そしてSXSWを通して触れた世界の課題についてどう考えているのか、考えをまとめて言語化してみることにしてみました。

 

 

果たして“ジャーナリズム”とは

 

すごい大きな“問い”ですよね。自分の仕事は「ソリューションを提供すること」だったりするので、自然と「課題というものは解くべきものだ」と思いますし、「世の中に知らないことがまだいっぱいあるって、ワクワクする」とも思います(その「知らなかったこと」で目の前の課題が解けるかもしれないのですから)。一方で、“ジャーナリズム”の役割として「世の中の人が知らないことを、教えてあげること=世の中に新たな課題を投げかけること」があるのも理解できます。たしかに、現代のような時代は、ジャーナリストが自分の足と目で仕入れる“一次情報”の価値はより高まっていると思います。そう考えると「“ジャーナリズム”は、人より早く、人の知らないことを知り、それを世の中に教えてあげるのが責務。だからその自分が知らないことがあるなんて恥だ」という考え方になるのかもしれませんね。ジャーナリストという職業は本当に大変だなと改めて思います。ただ一方で、個人的には、“ジャーナリズム”の役割は「一次情報を仕入れ、世の中に課題を投げかける」、それだけでいいのだろうか?とも思います。よく、ニュースの締めで使われる「〜という発言は今後物議を醸しそうです」とか「〜〜をきっかけに、考える機会が増えそうです」とかいう言葉、確かに「新しい課題」を投げかけているのかもしれませんが、個人的にはあまり好きではないんです。「ジャーナリズムは投げかけるまで。その先は課題を解く人が解いてくださいね」という、ひとつのスタンスも有りだし、正解なのかもしれない。一方で、率直に思ったことは、個人的には、世の中なんて知らないことだらけだから面白いんだし。だから自分はこの先も、知らないことがあることを「恥」だと思わないようにしようと思いますし、投げっぱなしにされた課題は、みんなで知恵を出し合って解いていきましょうよ、とも思います。「その課題があることはもう前に議論されているよ」という身も蓋もない指摘をするより、その膨大な知識のアーカイブの中から「じゃあ、その課題をどう解こうか」という「未来の話」をしませんかね。

YOSUKE MAMIYA
1994年電通入社。2年間のマーケティング局、16年間の営業局勤務を経て、2012年よりCDC。 「戦略とは、課題の言語化である」を戦略立案の芯に据え、戦略から表現まで統合し、あらゆる課題解決業務に従事。関わる領域は、広告コミュニケーションにとどまらず、事業系ソリューション、中長期経営計画立案、インナーのモチベーション・デザインなど多岐にわたる。 2017年に電通より独立。2018年 株式会社 Que 代表取締役CEOに就任。 主な仕事として、キリンビール「一番搾り」「氷結」キリンビバレッジ「午後の紅茶」「FIRE」におけるコミュニケーション・デザイン。 トヨタ自動車「AQUA」「MIRAI」「PRIUS PHV」「C-HR」のコミュニケーション戦略、 NTT ドコモ「2020 東京オリンピック協賛プロジェクト 」、プレナス「ほっともっと」ブランディング・ディレクション、日清食品「カップヌードル」 「UFO 」におけるキャンペーン・プランニングおよび、フロンテッジにおける事業コンサルテーションなど。