間宮のコラム まみこら vol.23
SXSW2019(3)

間宮 洋介

SHARE

日本はどうする?

あたりまえになったライドシェア文化

 

昨日のコラムで書いたように、アメリカや中国と比べると新しい「仕組み」を導入するのが遅い、という話を書きました。今更なんだ、という話ですが、オースティンで体験した話で言うと、たとえば日本のUBERとアメリカのUBERは確かに全く別物でした。日本におけるUBERはタクシーに乗るためのアプリですが、アメリカにおいてはまさに「シェアライド」のアプリです。今回も、たとえばオースティンの空港でUBERを立ち上げて利用人数を入力すると、近くにいるクルマが”配車”されてきます。空港のように利用者が多いところでは、タクシー乗り場の他に”UBER PICK UP”というゾーンがあったりするので“シェアライド”という生活スタイルが完全に定着しているように感じました。百聞は一見にしかず。ちなみにオースティンではUBERの他に”RIDE AUSTIN”というライドシェアアプリも使いました。運転手さんに聞いてみたところ、”RIDE AUSTIN”はUBERよりも運転手へのキックバック率が高いこと、さらにはオースティンには地元愛に溢れる人が多いので、運転手の間では”RIDE AUSTIN”の方が人気だそうです。個人的な感覚としてはUBERより”RIDE AUSTIN”の方がいいクルマが多く、さらには運転手さんも話し好きな人が多かった印象です。

 

 

 

日本は周回遅れ?

 

話が完全に逸れてしまいましたが、アメリカではUBERとライドシェアがそれくらい当たり前になっているのに、日本ではただのタクシーアプリになっている理由は、やはり「道路運送法」という法律の壁があるからです。2015 年に福岡市でライドシェアの実証実験としてはじまった「みんなのUber」サービスも、そうそうに法律違反ということでサービス中止に追い込まれています。安倍首相はそのあと、「インバウンド需要の加速や過疎地など、ライドシェアによって解決する課題を抱える地区を『特区』に指定し、規制緩和を加速していきたい」という趣旨の発言をしていますが、それから約4年、規制緩和は進んでいないように見えます。実際、2018年に話題になった、「民泊」にめぐる新法設定で、AirBNBの利用者が激減した、という話もあるように、政府が本当に規制緩和の方向に向かっているのかすらよくわからないのが実情です。そうこうしている間に、アメリカや中国ではたとえばシェアライドに関して、自転車や電動スクーターなどの「実利用」をすすめ、そこから得られた知見を次に生かすことでまた「次」の社会システムを作り上げていっているのです。次の「シェアライド・モビリティ」はドローンかもしれません。もちろん、シェアライドや民泊は、利用者の「安全」にかかわる問題なのでどこかで慎重になる、日本の気持ちもわかります。しかし、このままだと日本は確実に周回遅れになるな、という心配を痛烈に感じました。一方で個人的に感じるのは、日本は、現状の問題を規制するために法律が決められている割にその「運用」は結構ルーズだなということです。先週東池袋で起こった、高齢者ドライバーが横断歩道に突っ込み母娘二人が亡くなった事故で、運転していた87歳の男性は逮捕されませんでした。一方で、その2日後に起こった、神戸三ノ宮駅前で路線バスが横断歩道に突っ込み、これも2人が亡くなった事件ではバスの運転手は即刻逮捕されています。もっとも前者は負傷して入院中、後者は運転手に怪我はなかったから、という見方もあると思います。でも、まさに「人命」が失われた事故ですら、逮捕されるのかされないのか、その差は単純に「法の運用」という曖昧な(良くいえば、フレキシブルな)判断にあるのではないかと思います。だとしたら、ライドシェアなどの新しい試みに関しても「特区」など、「フレキシブルな法の運用」で始めてみることもできるのではないか、と思います。皮肉が入っているのでやや強引ですが。

 

Shutterstock.com

 

 

電動スクーター普及に伴って表出した問題

 

とはいえ、「なんでもやってみる」のが必ずしもいいとはかぎらない、とは思います。新しいことが始める時には必ずその裏側に「問題」が表出します。今回自分がオースティンで感じた、電動スクーターに関する“問題”は大きくふたつありました。ひとつめは、「やっぱり危ない」ことです。電動スクーターは、アプリでアンロックするときにその使用方法として「ヘルメットをかぶりましょう」「車道を走りましょう」「車と同じ向きで走りましょう」などのインストラクションが表示されます。ただ、逆にいうと、安全にかかわる説明はそれだけで、さらには基本的に誰もじっくり読んでない印象がありました。実際、ヘルメットをかぶっている人もいないし、歩道などもバンバン走るし、車道でも逆走上等!だったりです。警察官もそれに対していちいち指導したりもしていません。さらに、オースティンは(他のアメリカの都市もそうなのですが)、道路がかなりボコボコしていることも多く、特に雨上がりなどはスリップの危険も増す感じがしました。歩いていると角からいきなり飛び出してくるし、話しながら運転しているので周り見てないし、まあ危険。道路にマリオカートがいるとイライラする自分だとクルマを運転するのが嫌いになるかも、と思いました。実際にSXSWが開催された2週間の間に2名の方が電動スクーターの事故で亡くなったそうです。もちろんそのような危険性に対して、連邦政府や州もなんらかの対策や規制を講じてくるとは思いますが、それでもアメリカの大きな流れは止まらないように思えます。もともとグランドキャニオンに防護柵つけない国ですし。

 

 

 

コミュニティとの共生も問題に

 

電動スクーターのシェアライド普及に関して感じたもう一つの問題は、コミュティとの共生問題です。もしかしたらこちらのほうが将来的に大きな問題になるかもしれません。自分のように観光でオースティンに行った人間にとっては、電動スクーターは大いに便利でした。一方でオースティンに暮らす人たちにとってはいいことばかりではないかもしれません。たとえばオースティンに先駆けて急速に普及したカリフォルニアでは、電動スクーターでビバリーヒルズに乗り込む観光客が増えたため、そこに住むハリウッドセレブたちがプライバシーの侵害を訴えたこともありました。それだけでなく、やはり好きな場所に乗り捨てていいということは街中に電動スクーターが、乗り捨てられるわけなので、いくら自転車に比べてコンパクトだといっても、その道を毎日通る人たちにとっては邪魔になります。それ故に、住民たちによって電動スクーターが多数廃棄されたり破壊されたりする出来事も起こっているそうです。実際、自分がオースティンにいる間も、夜、酔った女性が“邪魔なのよ!(的な英語)”との叫びとともにLimeの電動スクーターを車道に叩きつけてました。あれ、結構重いんですけど、、、汗。そうとう怒りが溜まっていたんだと思います。そんなわけで、電動スクーターによるシェアライドの急速な普及は必ずしもプラスの側面ばかりではないと感じました。ただ、とても大事なのは、結局「やってみてわかった体験したマイナス面と、やる前からあれこれ考えて想像するマイナス面の意味性は、やった経験の分だけ、天と地ほど違う」ということだと思います。

 

 

 

規制の裂け目はどこにあるのか

 

以前のコラムで自分は「新しいことは、始めればいいというものではない、その目的性が必要」という話をしました。電動スクーターについては、渋滞が社会問題化する大都市での近距離移動による課題解決が目的だったと思います。その上で実際にやってみて、データと知見をためるベンチャー企業が出現し、彼らにイッキに投資が集まるようになる。完全なビジネスの成長プロセスの変革を目の当たりにした気がします。一方で、日本においては、どこか規制の裂け目(ゆるいところ=ダイレクトに人命に関わらなそうなところ)から、起死回生の鋭いイノベーションを生まないと世界から置いていかれてしまうかもしれませんね。何しろ、石橋を慎重に叩いて、ときには壊してしまうのが日本なので。

YOSUKE MAMIYA
1994年電通入社。2年間のマーケティング局、16年間の営業局勤務を経て、2012年よりCDC。 「戦略とは、課題の言語化である」を戦略立案の芯に据え、戦略から表現まで統合し、あらゆる課題解決業務に従事。関わる領域は、広告コミュニケーションにとどまらず、事業系ソリューション、中長期経営計画立案、インナーのモチベーション・デザインなど多岐にわたる。 2017年に電通より独立。2018年 株式会社 Que 代表取締役CEOに就任。 主な仕事として、キリンビール「一番搾り」「氷結」キリンビバレッジ「午後の紅茶」「FIRE」におけるコミュニケーション・デザイン。 トヨタ自動車「AQUA」「MIRAI」「PRIUS PHV」「C-HR」のコミュニケーション戦略、 NTT ドコモ「2020 東京オリンピック協賛プロジェクト 」、プレナス「ほっともっと」ブランディング・ディレクション、日清食品「カップヌードル」 「UFO 」におけるキャンペーン・プランニングおよび、フロンテッジにおける事業コンサルテーションなど。