間宮のコラム まみこら vol.6
“新しさ”ってなんだろう(3)

間宮 洋介

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「今のあたりまえ」を遡る

「イノベーション」を目の当たりした営業時代

 

先日のコラムで、「イノベーションとは未来の常識になるような変化」という話を書きました。それをネタにして人と話すことがあったので、もう少し掘り下げてみることにしました。そういうこともあり、今回のコラムは少し古い話が多くなってしまいます。あらかじめ、すみません。かつて自分が広告エージェンシーの営業として担当させていただいていたクライアントさん(ある電機メーカー)は「イノベーション」が得意な会社でした。それまで家の中で聴くものだった音楽を外で聴けるようにすることで、音楽を聴きながら街を歩く、というスタイルを生み出したり、それまではプロだけが撮るものだった“映像”を、例えば運動会でお父さんが簡単に撮れるようにすることで「プライベートの記録」に新しいスタイルを生み出したりとか。単に“モノ”を“発明”するだけでなく、そこから生まれるいくつもの“新しいライフスタイル”を、あたりまえのものにしてきました。“発明(インベンション)”であり“イノベーション”、そんな「新しさ」を次々に生み出していく姿に、エージェンシーの営業として関わりながら、いつも驚き、ワクワクしていた思い出をかなり鮮烈に覚えています。

 

 

 

「進化」と「イノベーション」

 

今、いろいろなところで「日本ではイノベーションが生まれにくい」という話を聞きます。前述の電機メーカーも、もともと持っていた「イノベーション気質」が失われるにつれ、「元気」がなくなったようにも思えます。完全に個人的意見ですが、その裏にはどこかで日本人の「生真面目さ」と「進化という呪縛」というものが横たわっているように感じます。例えば、一回“モノを小さくすることでイノベーションを生み出す”ことに成功すると、次に考えることは“より小さくするためにはどうすればいいか”、より高画質、高音質にするためにはどうすればいいか。これは企業だけの話に限らず、個人でも起こり得ることではあるのですが、どうしてもなんらかの成功を体験すると、その次はその成功体験からの進化を目指すようになります。それはそれで間違いない「正しい進化」なのですが、一方で、そのことに捉われすぎるあまり、起こるべき「イノベーションの芽」に、目をつぶってしまう、ということもよくあるように思います。

 

 

「質」と「イノベーション」

 

イノベーションの事例としてよく例示されるのはAppleのHDD携帯音楽プレーヤー、iPodのケースだと思います。古い話で恐縮ですが、世界中の人たちは「ポケットに1,000曲」というiPodデビュー時の紹介文だけで、ライフスタイルの新常識到来を予感しました。今では「え?1,000曲?すくなっ」と思うかもしれませんが、その当時はそれだけの曲を聴くためには例えば20曲入りのCDですら、常に50枚携帯していなければいけなかったわけですから。ただし、iPodは万能というわけではありませんでした。“当時の最高音質”で音楽を聴こうとするとデータは大きくなり、そうすると1,000曲は入らない。つまり、ポケットに1,000曲を入れるために、音質をある程度犠牲にする必要があったのです。当時、iPodに対して冷ややかな目を浴びせていた日本の電機メーカーは当初、「音楽は少しでもいい音質で聴くべきものであり、音楽にとって最も大事な音質を犠牲にせざるを得ないHDD音楽プレーヤーは本流にはならない」と判断していたように思えます。今になってみるとどちらが「あたりまえ」になったかは一目瞭然です(もちろん「音質」を追求する動きがなくなったわけではなりませんが)。生真面目に「音質の進化」だけを目指しているうちに、かつて得意だった「イノベーション」でAppleにあっと言わされてしまった。その経験も、自分にとってはショッキングでした。

 

 

 

「カメラ付き携帯」と「写メール」

 

同じように、これまた古い話で恐縮ですが、最初にカメラ付きケータイが出た時も、そのスペックは当時のデジタルカメラに比べると信じられないくらいの低画素数でした。デジタル画像は少しでも高画質であるべき、そういう「進化の呪縛」に捉われていると、いくら携帯に載せるからといって、そんな中途半端なクオリティなものを出すわけにはいかない。その電機メーカーがそういう判断をした傍で、カメラを携帯につけたことで生まれた「携帯で撮って、そのまま送る」という、今ではあたりまえのライフスタイルが一気に主流になりました。結果、「画質」にこだわったあまり、「カメラ付きケータイ」と、それがもたらす新しいライフスタイルに乗り遅れた、iPodで起きたことと同じことが、実はもっと前にも起こっていたのです。

 

 

 

「イノベーション」は、必ずしも「進化」から生まれるものではない

 

こうして文章にしてみると自分が「進化」否定論者のように見えますが、実はそんなことはありません。自分は、生真面目に、少しずつでも「質」を「進化」させていく日本のものづくり精神(もちろんそれだけが日本のものづくり精神だというわけではありませんが)を尊敬していますし、いい音で聴く音楽が聴覚を超えて“気持ちよく”感じられるとも信じています。ただ、「質を進化させる」ことと「イノベーション」はまた別の話でもある、とも思います。自分が「イノベーションとは、ただ単に新しい(そして進化した)“モノ”をつくることではなく、そこから定着する新しい常識をつくること」だと定義していることの背景には、自分のそういう経験があるのかもしれません。「イノベーション」とは、必ずしも「新しい技術」「難易度の高い技術」からだけではなく、「古い技術」「難易度の低い技術」からも生まれます。大事なのは「想像力」と「アイデア」と、やはり、それを人に伝えてワクワクさせるための「言葉」なのかもしれません。

YOSUKE MAMIYA
1994年電通入社。2年間のマーケティング局、16年間の営業局勤務を経て、2012年よりCDC。 「戦略とは、課題の言語化である」を戦略立案の芯に据え、戦略から表現まで統合し、あらゆる課題解決業務に従事。関わる領域は、広告コミュニケーションにとどまらず、事業系ソリューション、中長期経営計画立案、インナーのモチベーション・デザインなど多岐にわたる。 2017年に電通より独立。2018年 株式会社 Que 代表取締役CEOに就任。 主な仕事として、キリンビール「一番搾り」「氷結」キリンビバレッジ「午後の紅茶」「FIRE」におけるコミュニケーション・デザイン。 トヨタ自動車「AQUA」「MIRAI」「PRIUS PHV」「C-HR」のコミュニケーション戦略、 NTT ドコモ「2020 東京オリンピック協賛プロジェクト 」、プレナス「ほっともっと」ブランディング・ディレクション、日清食品「カップヌードル」 「UFO 」におけるキャンペーン・プランニングおよび、フロンテッジにおける事業コンサルテーションなど。