間宮のコラム まみこら vol.19
SXSW2019(1)

間宮 洋介

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オースティンはキレイな街でした

オースティンとSXSWについて

 

昨日までのコラムで、なんどかSXSW(サウスバイサウスウエスト)について書きました。今年の3月に1週間ほどSXSWの視察に行って様々なインプットがあったのでちょっと先出しで書いてしまったのですが、ここらで一回まとめてみたいと思います。自分にとって、特に今年のSXSWは、最新のテクノロジーを見に行く場所ではなかった、と書いたのですが、なぜそう思ったのかは、そもそもこの祭典の成り立ちと名前となぜオースティンで開催されたのかを振り返ると比較的納得しやすいと思います。SXSWは、最初、音楽フェスとして始まりました。現在は、音楽、フィルム、インタラクティブ(デジタル)、ゲームなど、様々なジャンルに渡って、多数の展示や企業のポップアップハウス、コンペティション、セッション、ライブ、フィルムの放映が行われるようなビッグイベントになっています。世界中から大企業や、特にIT 系のスタートアップの出展が盛んになったこともあり、最近ではインタラクティブ(デジタル)のニュースが多く、それが日本に伝えられたことで、SXSWは実態以上にデジタル、テクノロジー系のイベントだと認識されていた印象があります。でも、SXSWの立ち位置は、その名前と開催地(オースティン)に現れています。オースティンは、ニューヨークの南南西(サウスバイサウスウエスト)に位置し、保守的なテキサス州の中で(もしくは、全米の中でも)最もリベラルな土地柄だと言われています。日本でも最近急激にお馴染みになったindeedの本社があり、Appleもここに第2本社を置くなど、ニューヨークを中心とした、アメリカの文化やビジネスのメインストリームに対してカウンターというかオルタナティブな立ち位置を強く打ち出している街です。そこで開催され、ニューヨークに対して「サウスバイサウスウエスト」と明確に線を引く名前を戴いたSXSWは、音楽に関しても、そしてテックを含んだイノベーションに関しても、メインストリームに対して常に“問い”を発し、新しい(オルタナティブな)未来を模索するイベントになったのです。今年は特にその“問い”に対する課題感が、最新のテックの展示よりも興味と関心を集めていたように思います。

 

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大きな“問い”「巨大テック企業を放っておいていいのか」

 

SXSW視察に行ってみて一番驚いたのが、オースティンのようなリベラルな街でもそこかしこに“格差”を目の当たりにしたことです。例えば自分の宿泊していたホテルからコンベンションセンターまでまっすぐ歩こうとすると途中に職安があり、朝から晩まで職を持たない人たちが道端に座り込み、清掃も行き届いていない、そんな地区を通らなければいけなかったり。世界中から観光客がやってきているそのすぐ隣で困窮する人たちがその日食べるために職を求めている、そんな光景が当たり前にあるのです。もちろん格差の原因は様々ではあるものの、今、アメリカで特に問題視されているのが巨大テック(GAFAと、最近はUber)への不信です。日本にいるとなかなかそういう感じがしないのですが、例えばGoogleは地方のビジネスを奪い、富を集中させているという批判があり、全米の特にローカルで、従業員が乗るバスに石が投げられる“Throwing Rocks at the Google Bus”のような動きも起こっています。ただ、個人的に今年のSXSWで(去年からの引き続きの流れだとは思いますが)、一番風当たりが強かったのはFacebookだったと思います。実は自分も、日本にいるとあまり実感として感じていなかったのですが、Facebookの「フェイクニュース」と「個人情報の漏洩と乱用」についてはもはやアメリカ全体の社会課題にすらなっているという印象でした。

 

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「フェイクニュースは人を傷つけない」のか?

 

そもそもFacebookのその二つの問題は、2016年の大統領選挙の時に端を発しています。大統領選挙に際して、ロシアがFacebookのプラットフォームにフェイクニュースを流し、投票結果を左右したのではないか、という例のアレですね。その時からFacebookはふたつのスタンスを貫いてきました。一つは「ウチは知らなかった」、もうひとつは「そのニュースが人を傷つけない限り、ウチは表現の自由を尊重するよ」でした。しかし、その後もFacebookの拡散したフェイクニュースを信じた群衆によりメキシコでは無実の男性が2名殺害される事件が起こったり、ロヒンギャの迫害も、その原因はフェイクニュースだと言われたりもしています。Facebookももはや「そのニュースが人を傷つけない限り」と言っている場合ではなくなってきています。ところが、今年のSXSWで、自分が参加したフェイクニュースのセッションで登壇したFacebookのパネリストはそのことに対し、「今、Facebook社は、ニュースのテキストや画像からそれがフェイクニュースでないかを高精度で判別するAIを導入しようとしている」という趣旨のことしか述べていなかったように思います。でも、これに対してセッション参加者の質問は厳しいものでした。一つの論点は「フェイクかフェイクでないかは、高度に文化的、政治的に判断しなければいけないはずだ。それを誰がAIに判断させるのか」ということ、そしてもう一つは「ごたくはいいから一度きちんと謝れや」というものでした。特にふたつめに関しては、そのセッションに参加した一人のドイツ人の方が「ウチの娘は、Facebookが拡散したフェイクニュースを信じたことによって、今学校でいじめを受けている。あなたはそれを『危害を与えていない』と言うのか。」と言う質問をしました。それに対しFacebookのパネリストは「なのでAIを利用して、、、」と言いかけたところで、質問者の彼は「いや、私が言っているのはそういうことじゃない。一回きちんと自分たちがやったことについてレビューしろ、と言っているんだ」と語気強くいい、会場からは大きな拍手が出ていました。アメリカだけではなく、世界中でフェイクニュースに対する「怒り」が渦巻いている、そう感じました。

 

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巨大テックは、免罪符ではない

 

このように、フェイクニュース問題は、アメリカ(もしかしたら世界中)における「公共の福祉」を脅かす大きな問題になりつつあります。そしてさらに、Facebookの抱えるもう一つの問題「個人情報の漏洩と乱用」は、GoogleやUber、Amazonをはじめとした他の巨大テックにも当てはまります。「集めたデータ、好きなように使ってるよね?」ということ。でも別にそれは今まではビジネスの一つの「当たり前」として認識されていたはずです。なぜなら彼らが”労力を払って”集めたものだからです。しかし一方で、そのことが様々な問題を引き起こすことが目の当たりになるにつれ、結局、巨大テック(私企業)の私利私欲のために濫用されているのではないか、という疑念が、かき消しようのないくらいに膨れ上がってきているのです。そしてそれに対して、SXSWでは、「better futureのためには、巨大テック(私企業)を解体し、彼らの持つデータを公共に解放すべきなのではないか」と言う“問い”がたてられ、数年かがかりでそれを解こうとしている、という状況です。今年の特徴としては、政治家が多く登壇し、セッションでも”government”や”local government”、さらには”regulation”という単語が多く飛び交っていたのは、そういう背景があるからで、これもビジネスのメインストリーム(巨大テックへの富の集中)に対してのオルタナティブなスタンスを貫くオースティン、そしてSXSWならではの特色だと感じました。「巨大テック、放っておいて本当にいいの?」ってことですね。

 

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アメリカのビジネスは“中国式”になるのか?

 

もちろん、SXSWで話し合われている全てのことが、本当にアメリカの将来をつくるとは限らないと思います。しかし、リベラルにそしてオープンに課題が話し合われるSXSWは、だからこそ全米から注目されるイベントとなっているのです。ただの最新テクノロジーの見本市ではなく、ただの「お祭り」でもなく。一方で、先ほどまで書いた「巨大テック解体論」は、つまり、私企業が集めたデータを公共のものにする、という示唆でもあります。でもそれをそのまま中央政府に渡してしまうなら、それってまさに”中国”じゃん?という指摘もあることも確かです。今、アメリカと中国はイデオロギーで激しく対立していますが、ことビジネスにおいて、アメリカはもしかすると(一部かもしれませんが)「中国式」を取り入れざるを得ない、そんな地点にたどり着いてしまったような気もします。確かにこれはそう簡単には解けない問題です。一方で、個人的に課題感を感じたのは、アメリカでそこまでの「新しい悩み」が表出し、もしかしたら「ビジネスが中国式になるかもしれない」というような議論もなされている中で、さあ、日本はどうする、ということでした。日本の企業は一部を除き、まだ「ユーザーデータをどう集めるか」「集めてどう使うか」のところでウロウロしている印象があります。そしていかに国内でユーザーデータを集めきったとしてもその数は世界で考えると少ないものにしかなりません。自分も今回SXSWに行ってみて改めて「個人のデータが結局誰のものなのか」「それが誰かの私利私欲のための武器になり得る」という課題感に深く気付かされたので偉そうなことは言えないのですが。そろそろ日本も「データをどうするのか」「(日本にとっての外資系企業である)巨大テックとどう向き合うのか」本気で考えないと、取り返しがつかない「究極のガラパゴス」になってしまうな、と感じています。もうき始めている中国資本は、もしかしたらGAFAが日本にもたらしたものより大きいインパクトを、日本のビジネス界にもたらすかもしれないのですから。そんなわけでかなりマジモードになってしまいましたが、次回以降もSXSWで感じた“問い”について書いていきたいと思います。

YOSUKE MAMIYA
1994年電通入社。2年間のマーケティング局、16年間の営業局勤務を経て、2012年よりCDC。 「戦略とは、課題の言語化である」を戦略立案の芯に据え、戦略から表現まで統合し、あらゆる課題解決業務に従事。関わる領域は、広告コミュニケーションにとどまらず、事業系ソリューション、中長期経営計画立案、インナーのモチベーション・デザインなど多岐にわたる。 2017年に電通より独立。2018年 株式会社 Que 代表取締役CEOに就任。 主な仕事として、キリンビール「一番搾り」「氷結」キリンビバレッジ「午後の紅茶」「FIRE」におけるコミュニケーション・デザイン。 トヨタ自動車「AQUA」「MIRAI」「PRIUS PHV」「C-HR」のコミュニケーション戦略、 NTT ドコモ「2020 東京オリンピック協賛プロジェクト 」、プレナス「ほっともっと」ブランディング・ディレクション、日清食品「カップヌードル」 「UFO 」におけるキャンペーン・プランニングおよび、フロンテッジにおける事業コンサルテーションなど。