間宮のコラム まみこら vol.33
休日の息抜きコラム(8) 歴史を何で残すか

間宮 洋介

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刻む意味

 

 

 

令和はじめての一般参賀

 

今日は令和になってはじめての一般参賀の日でした。後から振り返った時、確実に「歴史的な一日」になる日だったと思います。そういえば、昭和天皇が崩御され、「平成」が始まった時の記憶は今でもかなり鮮明に覚えています。ということは、きっとこの1週間のことも、後になったときに鮮明に思い出せるような日になるのではないかとも思います。ただ、そのときちょっと思ったのですが、やはり自分の記憶(=頭の中にあること)は、自分がいなくなったらなくなってしまうんですよね。時が過ぎていくにつれて“戦争の語り部”が亡くなっていくのと同じように、今、自分たちが当たり前だと思っていることを“記録”しておかないと、その“記憶”は失われていきます。当たり前ですが。例えば今日のような“その時代を生きた人が同時に体験する歴史”は、なんらかの形で残るのかもしれませんが、自分が感じた些細なことや、当たり前すぎて記録するまでもないことこそ、もしかしたら後世の人にとって面白い発見になるかもしれないし、それは自分にしか残せないことなのかもしれないので。

 

 

 

“文書”や“電子媒体”は歴史を伝えられるか?

 

少し前、経済成長率に関しての“公文書”の偽造についての疑いが、国会で議論を呼びました。現代では、記録は“電子媒体”か“紙”で残すことが多いわけですが、そもそも“電子媒体”は永久ではない(少し前に、そういう議論が出ましたよね)し、“紙”も、いつかは朽ち果てます。それに加えて、例えば古文書である“日本書紀”や“古事記”は、時の権力者によって改変されていることも指摘されているように、“紙”は、簡単に破棄され、書き換えられる媒体でもあります(電子データはそれよりも簡単に書き換えることができます)。なんとなく日本は、諸外国に比べて “紙に文字で刻まれた歴史”を重視しすぎのような気がします。紙が開発された、というのは偉大なる発明ですが、例えば今の時代の毎日を記録するために、他の方法も検討されてもいいような気がします。もちろん今の時代は“映像”があるわけですが、それもいつまで保つかわかりませんよね。

 

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石や粘土に刻む

 

歴史の残し方として“石碑”があります。さらに遡ると(粘土質の壁に残す)“壁画”というのもありましたね。ここに文字か絵画で残す、というのも、一つの方法だと思います。例えば津波の被害が出た地域にはそのことを示す石碑が建っていることも多いです。そこには例えば世界が変わって、もしかしたら文字が変わっても津波の危険を残そうと思った先人の想いが込められているような気がします。そんなことを考えていた時、この前、テレビを見ていたら今、“写真を再現するタイル”という技術が紹介されていました。写真を読み込んでその絵柄に合わせて透明な接着剤を吹き付け、そこに4色のパウダーを吹き付け写真の絵柄を再現し、それを焼く、というものです。自分が知っていた“陶板レリーフ”より精巧なもののような気がしました(詳しくはわからないのですが、、、)。そのテレビを見て、自分が記録しておきたいものがあるときには、例えばそのタイルを焼いた上で、それを壁に埋め込むことによって写真は“紙”や“電子媒体”という、ある意味“有限”なメディアを抜け出し、半永久的に残すことができるのではないか、と思いました。もちろん、割られてしまったら終わりなんですけどね。でも今度、何かを残してみようかと思いました。間違って、自分の写真が歴史に残るかも。

YOSUKE MAMIYA
1994年電通入社。2年間のマーケティング局、16年間の営業局勤務を経て、2012年よりCDC。 「戦略とは、課題の言語化である」を戦略立案の芯に据え、戦略から表現まで統合し、あらゆる課題解決業務に従事。関わる領域は、広告コミュニケーションにとどまらず、事業系ソリューション、中長期経営計画立案、インナーのモチベーション・デザインなど多岐にわたる。 2017年に電通より独立。2018年 株式会社 Que 代表取締役CEOに就任。 主な仕事として、キリンビール「一番搾り」「氷結」キリンビバレッジ「午後の紅茶」「FIRE」におけるコミュニケーション・デザイン。 トヨタ自動車「AQUA」「MIRAI」「PRIUS PHV」「C-HR」のコミュニケーション戦略、 NTT ドコモ「2020 東京オリンピック協賛プロジェクト 」、プレナス「ほっともっと」ブランディング・ディレクション、日清食品「カップヌードル」 「UFO 」におけるキャンペーン・プランニングおよび、フロンテッジにおける事業コンサルテーションなど。