最近、「ナッジ」という言葉を耳にする機会が増えてきました。もともと英語で「軽くつつく、そっと後押しする」という意味を持つこの言葉は、行動経済学の分野で発展してきた概念で、「人に強制することなく、望ましい行動を選びたくなるように促す設計」を指します。たとえば、公園の階段をピアノの鍵盤のようにデザインして、つい足を踏みたくなるようにしたり、献血を促すポスターに「あなたの献血で助かる命がここにあります」と物語性を持たせたり。理屈よりも“気持ち”に寄り添い、人の行動に静かに働きかけていく。そのような設計がナッジです。
この「強制せずに行動を促す」という発想は、私たちがブランドづくりやコミュニケーション設計の現場で向き合っている問いとも深く通じています。広告や広報がうまく伝わらないとき、それは情報の量や接触頻度の問題ではなく、「伝え方が“押しつけ”になってしまっている」ことが原因である場合が少なくありません。

だからこそ私たちは、「(企業がほんとうは)伝えたいこと・言いたいこと」を、「相手が思わず反応したくなる構造」へと情報や言葉をリフレーミングしていくことで、相手の自主的な選択をそっと促すようにします。これはまさに、ナッジ的な視点そのものだと言えるでしょう。
たとえば、タクシーアプリGOの「どうする? GOする!」というキャッチコピー。これは機能を正確に伝えることよりも、「なんとなく身体が動いてしまう」ような心地よさを重視しています。こうした言葉の設計によって、選択はより自然で前向きなものになる。それがナッジの本質でもあります。
ナッジとは、心理的なバリアや認知のゆがみを理解しながら、行動を前向きに導くアプローチ。一方、ブランド思考とは、相手にとっての“意味”を再設計する営み。異なる領域のようでいて、どちらも「人の行動の背景にある意味構造」をデザインしている点で、非常に近い思想なのです。
かつてマーケティングの世界では「説得」が中心でした。機能、価格、利用者数といった論理的な訴求。しかし今の生活者は、“自分にとって意味があるか”で選択をします。そしてその意味は、理屈よりも、「なんか好き」「応援したい」といった感情や共感から生まれるものです。
これはまさに、「ナッジとブランドの交差点」。強いインセンティブや機能説明ではなく、心が静かに「動いてしまう」。その背景には、価値の再定義と、“気づき”をもたらす言葉の設計があります。
Queが大切にしているのも、そうした“見え方の再設計=リフレーミング”の視点です。たとえば、ただの金属部品が「未来のエネルギーを支えるカギ」として語られ直されることで、BtoB企業の存在意義が共有され、採用や営業の現場でも共感が生まれる。これもナッジの力によるものです。
ただ一方で、ナッジは「操作」と紙一重の危うさも孕んでいます。「誰が、どんな意図で背中を押しているのか」が不透明なままでは、それはプロパガンダと区別がつかなくなる恐れがあります。だからこそ私たちは、ナッジ的なアプローチを扱ううえで、相手の主体性を損なわず、選択の自由を奪わず、設計の意図や価値観を透明にしておくことを常に心がける必要があります。
そしていま、行政・企業・市民社会のあいだで、「公共とブランド」が交わりはじめている時代に、私たちは生きています。それは、サステナビリティ=持続可能性が重視されるようになった社会の中で、「人々が“自分で選ぶ”未来」がますます重要になっているからです。なぜなら、人間は、自分で選んだものしか、本当の意味で愛せないし、愛し続けることができないからです。
言われてやることよりも、自分で選び取ったことのほうが、記憶に残り、行動に持続性が生まれる。そんな選択の余地をそっと支えるために、いまナッジという考え方、そしてそれと重なるブランディングの視点が、社会においてより重要な役割を果たし始めています。
ナッジ政策とブランド思考。それは、人の“選択”と“意味”を編み直すための、ふたつの補助線なのかもしれません。