間宮のコラム まみこら vol.31
SXSW2019(9)

間宮 洋介

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令和ファーストデイコラム

 

 

“テックが課題を解決する”ってどういうこと?

 

以前のコラムで何回か、「テクノロジーで社会課題を解決する」という“フレーズ”を書きました。SXSWの近年のテーマがまさに「テックによる社会課題の解決」そして最近は特に「テックによる“ウエルネス(人間の種の安定的な存続と個人の安全と質の高い生き方)課題”の解決」に向かっているというのは述べたとおりです。もちろん、たとえばUberやRide Austinなどの、さらにはeスクーターなどのシェアライドサービスも、テクノロジーによってそのアプリやサービスそのものを進化させることによって、大都市のモビリティ課題を解決しています。もちろん、以前も書いたように、新しいことに関してはその前に大抵「障害」が横たわります。ライドシェアサービスにおいては“安全性”や“社会との共生”の問題がありましたし、例えば(これはITテクノロジーではありませんが)、臓器移植においては“脳死判定”問題が横たわっていました。また、大麻解禁のところでも述べたように「感情的、倫理的反対意見」がストッパーになることもあります(カリフォルニアでは、結果的に一気に雪崩を打ちましたが)。

 

Shutterstock.com

 

 

日本における“テック”と“社会課題”

 

実は日本で、個人的にとても考えさせられる事故が4月にありました。87歳のドライバーが池袋の横断歩道に100km/hを超えるスピードで突っ込み、母子2人を死亡させた事件です。この事件では他にも10名の重軽傷者がいたはずですが、ここ最近ではこのニュースすらあまり取り上げられない気がします。ネットなどではその運転手の経歴から、退院後も最終的に逮捕されないのではないか、などという“上級国民論”になっていますが、個人的に気になっているのはそのことではなく、高齢者による運転をどうするか、ということでした。自分の父親も同じくらいの年齢です。そして免許の書き換えのために認知機能研修と高齢者講習を受けています。一部では、高齢者は一律で運転を禁止にする(免許返納を義務とする)べきであるという話もあるようですが、実際には本人のプライドもあり、なかなか難しいのが現状ではないでしょうか。この事件をめぐるさまざまなネットの意見のうち、自分が納得した意見が以下のようなものです。「運転免許をETC カードのように、クルマに読み込めるものにする」「その上で、高齢者運転免許は、自動ブレーキを装備車のみ運転可能にすべき」というものです。今回、高齢者の運転事故に関するさまざまな記事を読んだのですが、多くの事故は「AT車によるアクセルとブレーキの踏み間違い」に原因があると言われています。一方で、クルマというのは、アクセルとブレーキを同時に同じ力で踏んだ場合、ブレーキが勝つように作られているそうです。つまり、例えば高齢者ドライバーがブレーキとアクセルを踏み間違え、パニックで足が突っ張ってしまったとしても、それ以上の力で自動ブレーキを作動させることができれば、事故のリスクは減るのではないか、ということです(もちろん、ゼロにはならないかもしれませんが、、、)。これが「テクノロジーで社会課題を解決する」という一例だと思います。この話を聞いて、自分は、親に対しても、まずは免許返納をすすめた上で、もしそれでも免許更新するという意思があるようなら、親のために自動ブレーキを装備したクルマを買おうと思っています。

 

 

 

「進まない」原因はたくさんある、でも

 

もちろん、上で書いた意見は理想論かもしれません。そこに向かっていくにはいくつもの「問題」を乗り越える必要があります。自動ブレーキ技術の精度を高めることもそうかもしれません。さらにはそれに加え、「自動車業界からの反発」、「高齢者の経済的事情」そして「高齢者自身のプライドの問題」なども大きい「障害」になると思います。以前、飲酒運転による死亡事故が立て続き起こった際に、「ハンドルに呼気を吹き付け、アルコールを感知したらハンドルがロックされ、運転できなくなる」という機構をクルマに装備させることが検討された時、一斉に自動車業界から反発が起こり、導入の検討すらされなくなった、という経緯もありました。確かに自動車メーカーにしてみたら、彼らにとってはつけなくてもいい、例えば免許を差し込んで運転者の情報を読み込む機構やアルコールを検知する機構、さらには自動ブレーキ搭載などの機構が義務化されることで価格が上がったり、製造責任の範囲が拡大したりすることは容認できないことなのかもしれません。さらにはすべての高齢者ドライバーが、自動ブレーキを装備した最新車種を購入できるとも限りませんし、そもそも高齢者には「自分の運転が不安だ」と言われることに我慢がならない人が多いそうです(だからこそ、免許の返納が進まないという背景もあるようです)。まさに「高齢者の人権とプライドの問題」です。ただ一方で、だから放っておいていいのか、というとそういうわけにはいかないのではないか、とも思います。せっかく「テクノロジー」が進化し、それによって課題解決の可能性が高まるなら、それに対して「規制」と「(例えば金銭的な)補助」を組み合わせてでも、なんとか実現に向かっていくべきなのではないか、と思います。逆にいうと、「テクノロジー」が「社会課題」を本当に解決していくためには、どこかで社会(政治)の「判断」が必要になるということです。SXSWのさまざまなセッションと体験を通して痛切に感じたのは、さまざまな課題が山積し、それらが絡み合い、ますます単純には解けないようになっていく日本においては、あらゆることに対して「石橋を叩く、さらには八方美人で強いものに叩かれないような(社会的・政治的)判断」ばかりしていると、せっかくの「テクノロジー」が持ち腐れてしまい、気付いた時には“時すでに遅し”ということになってしまうのではないか、という不安でした。「令和」の時代は、どこかで中長期的で本質的な「判断」がなされる時代になってほしいと思います。

YOSUKE MAMIYA
1994年電通入社。2年間のマーケティング局、16年間の営業局勤務を経て、2012年よりCDC。 「戦略とは、課題の言語化である」を戦略立案の芯に据え、戦略から表現まで統合し、あらゆる課題解決業務に従事。関わる領域は、広告コミュニケーションにとどまらず、事業系ソリューション、中長期経営計画立案、インナーのモチベーション・デザインなど多岐にわたる。 2017年に電通より独立。2018年 株式会社 Que 代表取締役CEOに就任。 主な仕事として、キリンビール「一番搾り」「氷結」キリンビバレッジ「午後の紅茶」「FIRE」におけるコミュニケーション・デザイン。 トヨタ自動車「AQUA」「MIRAI」「PRIUS PHV」「C-HR」のコミュニケーション戦略、 NTT ドコモ「2020 東京オリンピック協賛プロジェクト 」、プレナス「ほっともっと」ブランディング・ディレクション、日清食品「カップヌードル」 「UFO 」におけるキャンペーン・プランニングおよび、フロンテッジにおける事業コンサルテーションなど。