間宮のコラム まみこら vol.8
“新しさ”ってなんだろう(5)

間宮 洋介

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“新しさ”を考える の最終章です(おそらく)

「新しさ」と「共有欲求」

 

前回までのコラムでは、人間は新しいものに出会うとワクワクする、という話を書きました。そして、個人にとって「新しさ」を感じる瞬間は、それぞれの体験の中で(例えそれが昔からあったものでも)「初めてそれに出会った衝撃」が大きい時のことなのではないかということも書きました。女子高生が「バブリーダンスって逆に新しい!」とかいうヤツのことですね。今日書こうかと思っているのは、人間は「新しさ」に出会うと次に、「それを(その感動を)他の人にも知ってもらいたい!」と思う、という話です。感情の「共有欲求」と言いますか。これまた10年以上前の話ですが、Jポップにやたらと「守りたい」だの「離したくない」だのという歌詞が流行りまくった時期がありました(「翼を広げ」的な歌詞が流行りまくった時期です)。その頃、同じく頻出していたのが「誰かに届けたい」「誰かに伝えたい」「誰かに知ってもらいたい」という歌詞でした。溢れまくってました(SNS全盛期前夜くらいでしょうか)。それが証明するのは、「人は基本的に、誰かに知ってもらいたい動物だ」ということだと思います(極論?)。その欲求を満たす手段として、昔はもっぱら口から口で伝える、しかなかったのですが、SNSが登場してからその拡散力は爆発的に広がり、その欲求は社会的により肯定されるようになってきたと思います。その証拠にSNSのタイムラインにはこの瞬間も「自分が出会った新しいことを誰かに伝えたい!」という思いに溢れています。

 

 

 

共有するに値しない情報

 

「古いものも、その人にとって知らなかったものである限り、それは新しいものとの出会いになる」と考えると、それなりのアンテナを張っていれば、人は毎日のように何らかの「新しい」に触れていてもおかしくないはずです。個人的体験で言いますと、自分は最近Spotifyに入って、それゆえに本当に久しぶりに洋楽をまとめて聴くようになったのですが、あまりに久しぶりすぎて「2010年代の定番洋楽プレイリスト」が、ほとんど自分にとっては「新曲」ばかりで、日々「新しさに出会って」います。でも、自分はその「新しさ」について、あまり人と共有する気になっていません。元々自分がそれほどSNSで発信するタイプではないことも関わっていると思いますが、大きな要因は「その新しさは自分にとっては新しいけど、他の人にとっては新しくない可能性の方が高いから」だと思います。今更、「エドシーランって超いいよね!俺初めて聞いたんだけど!」とかテンション高く言われても、言われた人は「お、おう、、、(そっと目をそらす)」という反応になるのが関の山です。それがわかっているからこそ、自分の中の「エドシーランという新しさとの出会い」は個人的感情として自分の中だけにしまっておくことになるのです(ってコラムで書いてしまっていますが)。

 

 

「いっせーのせ」があると、「新しさの感動」はシェアされやすい

 

ところが、前回お話しした「ボヘミアン・ラプソディ」は、みんなが昔からあったクイーンの楽曲に出会った経験でありながら、広く、強く共有され、社会現象となりました。これはなぜか。単純に、「みんなが新しさに出会うタイミングが一緒だった」からだと思います。映画が大ヒットしたことがきっかけになり、多くの人が「ほぼ同時に」クイーンの楽曲に初めて出会うことになった。それで、誰かが「クイーンのあの曲、良いよね!」と言った時に、周りの人が「そうそう!自分も初めて知ったんだけど、超いいよね」というように、驚きと感動を共有しやすくなったのです。「個人的に、(昔からあったものに)初めて触れて新しさを感じる」ことを他人とシェアしたくなるようにするためには、「新しさに出会った個人の驚き」のタイミングを揃えることが必要で、それにより、その驚きは「世の中ごと」となり、話題が最大化されるのです。例えば新元号のニュースは日本中が「いっせーのせ」だったからこそ、それに対する感想がものすごい勢いでシェアされた。そう思うのです。そう言う意味では、自分たちの会社の仕事である「広告」や「広報」の現代的役割は、ただ「早く、強く伝える」だけでなく、世の中が話題にしやすいように、「新しさ」に対する「いっせーのせ」をいかにうまく作ってあげるということなのかもしれないですね。

 

 

 

やっぱり大事なのは「新しさ」の適切な言語化

 

話を戻します。「新しさに出会った感動」がシェアされるのに必要なのが「同時性」だとすると、次に大事になるのが「誰が先にそのニュースに関して、芯を食いつつ一番気の利いたことを早く言うか」です。「同時性」が進めば進むほど、一人一人がオリジナリティの効いたコメントを考える時間がなくなるため、「自分の考えに近く、周りの人にも共感してもらいやすい、出来合いのコメント」を求めるようになります。例えば、最近はたとえカップルで来ていたとしても、新作映画を観終わってシアターを出た時、お互いに感想を言い合う前にそれぞれがまずスマホでレビューを見ることが多くなったように思います。今見たばかりの映画の感想を自分で考える前にネットで探す。そこで必要になるのは「気が利いていて、彼氏(彼女)に、自分の感想を代弁してくれそうなレビュー」。社会が「新しさ」に同時に出会った時、やっぱり必要になるのはそれをどう的確に、魅力的に「言語化」するか、だと思います。言い換えると、人間が「新しさ」に出会った時に当たり前に感じるワクワクを、すべて「すごい」「カワイイ」「エモい」で済ませる人が多い時代だからこそ、「新しさ」に対して、正しく、セクシーに「言語化」ができる能力が求められているのかもしれません。

YOSUKE MAMIYA
1994年電通入社。2年間のマーケティング局、16年間の営業局勤務を経て、2012年よりCDC。 「戦略とは、課題の言語化である」を戦略立案の芯に据え、戦略から表現まで統合し、あらゆる課題解決業務に従事。関わる領域は、広告コミュニケーションにとどまらず、事業系ソリューション、中長期経営計画立案、インナーのモチベーション・デザインなど多岐にわたる。 2017年に電通より独立。2018年 株式会社 Que 代表取締役CEOに就任。 主な仕事として、キリンビール「一番搾り」「氷結」キリンビバレッジ「午後の紅茶」「FIRE」におけるコミュニケーション・デザイン。 トヨタ自動車「AQUA」「MIRAI」「PRIUS PHV」「C-HR」のコミュニケーション戦略、 NTT ドコモ「2020 東京オリンピック協賛プロジェクト 」、プレナス「ほっともっと」ブランディング・ディレクション、日清食品「カップヌードル」 「UFO 」におけるキャンペーン・プランニングおよび、フロンテッジにおける事業コンサルテーションなど。