間宮があんまり音楽に詳しくない理由の話
「インサイト」について
コミュニケーション設計の仕事に携わっていると、「インサイト」という言葉は、比較的昔から馴染みのある言葉です。近頃では、必ずしもコミュニケーション業界の方でなくても「インサイト」という言葉には聞き覚えがあるのではないでしょうか。Hondaも“Believe your INSIGHT”というキャンペーンを展開していましたね。まあこれは同社の車種名でもあるからなのですが、テレビから「インサイト」という言葉が聞こえてきたのも、昔からコミュニケーション畑でこの言葉を使っていたものとしてはちょっと感慨深いです。そんなわけで(そんなわけで、でもないのですが)、今日から何回かに渡り、戦略立案やコミュニケーション設計の際に必ず登場する「インサイト」について、掘り下げつつ、個人的な思いも込めて書いていこうかなと思います。
そもそも「インサイト」ってなんだろう
「インサイト」を辞書で調べると「洞察力、見識」「視野に入ること」という意味が出てきます。ただ、この定義だけだとビジネスで使うには少しだけ不親切なので、改めてマーケティング的な使われかたを調べてみると「人を動かす心理」「消費者の視点、心理を発見すること」「消費者の行動の裏に潜む心理を観察し、見抜くこと」などという説明が見つかります。単に辞書で調べるよりはしっくりしますね。一方で、マーケティング的解釈において、「インサイト」は、やや多種多様な意味を含んで理解され、使われていることが多いように思います。それがゆえに、普段仕事をしていても、例えばアンケート調査から得られた結果や発見(findings)のことをすべて「消費者インサイト」と言っているケースも散見されます。もちろん、そういう解釈も完全な間違いではないと思うのですが、個人的にはインサイトとは「人を動かす“隠れた”意識や心理」だと考えています。ちょっと迷うのは「人を動かす“隠れた”意識や心理」なのか、「人を動かす“隠れた”意識や心理を発見すること」なのか、ですが、「そこに消費者のインサイトがある」という言い方もするので、前者の方が使いやすいのかもしれません(細かい話ですみません)。いずれにしろ、自分は「インサイトとは、(注意深い)洞察によって発見するもの」だと考えています。アンケート調査の結果は多くの場合、「人が意識し、行動した結果」のデータでしかなく、それはすでに「隠れた」ものではないため(もちろん、そのデータから、生活者の隠れた意識が見つかることもないわけではありませんが)、それは「調査結果」であり、「インサイト」であるとは限らない、と思うのです。
「観察」と「洞察」
ちょっと話を戻します。「インサイト」を辞書で引いた時、「見識」「視野に入ること」という定義が出てきました。そして前の段落でも自分は「観察」「発見」「見抜く」「見つける」という言葉を使って説明しています。それらの言葉に共通するのは「見」るという字、もっというと「目」です。それは、「インサイト」を見つけるのに大事なのが「よーく見ること」「表面上だけでなく、深く観察すること」だから、ということにかなり関係があるように思えます。そもそも「In-SIGHT(サイト)」ですしね。ただ、自分がもっとも大事にしているのは、「インサイト」の定義としていちばん最初に出てくる「洞察」です。「洞察」は必ずしも「観察(見ること)」と一致しない、つまり「見ればいい」というものではない。いろいろな情報を得て、そこから「考えて」「察する」ことが大切だと思っています。そしてそのためには、「見る」以外の感覚もフルに使えるとより「洞察力」が上がるのではないかと思います。
目が悪いと耳が立つ
ここからちょっとだけスーパー個人的な話をします。さらっと斜め読みしてください。自分は小さい頃、極端な弱視でした。生まれつき網膜に異常があったらしく、色覚などには異常はないものの、ほぼほぼ何も見えない、そんな状態。小学生時代も、体感的には、テレビも見えないし(そもそもあまり見させてもらえなかった)、体育館の時計も読めないし(そもそも時計があることも見えなかった)、そんな感じでした。ありがたいことに、親がほぼ週イチで眼医者に連れてってくれて、そのお医者さんが名医だったこともあり、中学を卒業するころには運動するのに支障がないくらいまで視力が回復しました(社会人になった頃は、むしろ人より目がいいくらいでした)。親と先生には超感謝です。話が逸れましたが、子どもの頃が目がそんな状態だったこともあり、自分はかなり「耳」に頼って育ってきました。気づかれる方もいると思うのですが、自分は人より耳が大きくて立っています。顔の横に椎茸の裏側を垂直にくっつけた感じ。これはきっと生まれつき目が悪かった自分に、神様が耳を立てて、少しでも周りの「音」や「人の声」を収集できるようにしてくれたのではないかと思っていたりします(けっこう本気)。そんなわけで自分は、自然と人の考えていることを「目で見て」より「耳で聞いて」察するようになりました。それは視力が回復した今でもあまり変わらず、大事な判断をする際には自然と「目を閉じて、相手の声を聞いて判断する」ことが多いです。声のトーンで、喋るスピードで、本当に相手が何を考えているのかを「察する」。またはザワザワした街の喧騒の中で、どんなことが話されているのか、じっと耳をすませて「聞く」ことで、「見る」ことよりも大事な発見ができることもあります。というわけで、打ち合わせ中に目を閉じていても、それは寝ているわけではないのです(偉そうにすみません)。そんなわけで、自分は比較的「インサイト」を「見る」だけでなく「聞く」ことで「見つける(聞つける?)」ことが好きだったりします。
電車の中で音楽を聴かない理由
「消費者のインサイト」は、必ずしもマーケティング的な調査(定量調査に限らず、インタビューや観察調査なども含む)から見つかるわけではありません。もちろん、自分という消費者の心理を深く考えてみることで見つかることもあります。ただ、やはり自分は自分でしかないので、他の人たちが何を感じているのか、その裏にはどんな心理があるのかは、情報を得た上で考えて、察してみないとわかりません。そんなとき、自分は、街なかはもちろん、わざわざいろんな路線の電車に乗ってそこで交わされる会話を、耳をすませて聞いてみることがあります。サラリーマン先輩後輩の会話、高尾山に登山に行くおじいちゃんおばあちゃんの会話、大学生カップルの会話、スイーツを食べに行くと思われる女性同士の会話、、、彼らが話す「何が面白かった」「昨日インスタで何を見た」、そういう会話がプランニングのヒントになることが非常に多いのです。もちろん、特定の商品について偶然話が聞ける、みたいなことがあるわけではありませんが、何かしらの「発見」はあるものです。だから自分は基本的には街なかや電車の中で音楽は聴かないのです(いいヘッドホンやイヤホンは好きですが、主に家やオフィスで使ってます)。
「聴く」ことで見抜く「インサイト」
もちろん「インサイト」は基本「観察する」ことで「発見」するものですが、こういう「見抜きかた=聴き抜き方?」をしてる人もいるんだ、と思ってもらえると「インサイト観」が広がるのではないか、と思います。今回、「インサイト」を語るのにちょっと変な方向から入ってしまいましたが、次回からはもう少し真っ当な「インサイト」について書いていこうと思います。それにしても、世の中には「目」とか「見」とかが入っている漢字、めちゃくちゃ多いですね。これも新たな発見です。あ、また使ってしまった。