組織と個人のモチベーション研究 (3,4)

飯島 章夫

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3.成長志向組織の発展と限界
〜日本史上最大の急成長組織に学ぶ〜

前回、組織の気質には、成長志向と安定志向があり、民間企業は本質的に成長志向であると書きました。こうした成長志向の組織が、成長の限界に遭遇した時に、どうなってしまうのでしょうか?
歴史に学ぶことができます。

日本史上最大の急成長組織とは、織田家から始まり豊臣家に受け継がれた組織です。猛烈な成長志向気質を持った組織でした。約30年間をかけて急激な成長を遂げ、1590年、ついに全国統一を果たします。すると、これ以上領土を拡大しようにも、拡大できなくなってしまいました。

一方、気質はそう簡単に変えられるものではありません。豊臣家は成長志向気質のまま、成長しようにも成長できなくなってしまうという問題に直面しました。

成長志向の組織の構成員は、当然アグレッシブな人間が中心になります。豊臣家では、アグレッシブで昇進欲の高い家来が多いのに、与えるポストがなく、給与を上げることができなくなりました。これによって不満がたまり、組織に対するヒューマン・プレッシャー(突き上げ)が限界まで高まってしまいました。

ところで、もし企業がこのような状況になってしまったら、どう対処したらいいでしょうか?

以下の二つの対応策が考えられます。

対応策①
「気質を成長志向から安定志向へと切り替える。」

具体的には、低成長下での安定経営を考えた、人員整理と無駄の削減。

 

対応策②
「次なるフロンティア市場で、成長を継続。」

具体的には、成長を継続可能にする、新たな市場開発と事業多角化の推進。

企業が株式会社である場合、対応策①は企業の価値を頭打ちにし、株価や給料にも影響を及ぼすため、株主からも労働組合からも歓迎されません。

一方、対応策②は、積極策によって、企業の価値を引き上げる可能性を感じ、株主からも労働組合からも賛同を受けやすいものです。

つまり、経営者にとっては、対応策②の方が、着手しやすく有能に見えるため、ついつい選択したくなるのです。

豊臣秀吉も、対応策②を選択しました。

 

すなわち、それが“朝鮮出兵”です。トップも家来も、成長を続けることしか経験したことがないため、今までと同じ方法で成功するに違いないと思ってしまいます。しかし、日本国土を統一するのと朝鮮を侵略するのとでは、訳が違いました。7年間も朝鮮で無益な戦いを続け、組織を滅亡へと導く要因となりました。

ここで、現代社会において、成長の限界を乗り切るために、朝鮮出兵的に新たな市場開拓に挑んだ、成長志向気質の企業を振り返ってみたいと思います。

2011年ごろ、日本を席巻したソーシャルゲームの覇者DeNAとGreeは、日本市場が飽和状態になったため海外進出に打って出ました。またほぼ同時期に、日本でECの覇者であった楽天も海外進出を始めています。これまでの成長曲線を維持するためには、海外市場も取り込む必要があったのです。 しかし、イケイケな成長志向気質のまま、甘い目論見の元、海外という環境も文化も異なる所で勝負をするのは、やはり無理があったのだと思います。豊臣家の朝鮮出兵同様に、海外展開の縮小・撤退を余儀なくされ、国内事業にも負の影響を及ぼす結果になってしまいました。

新市場への拡大は、海外進出に限るものではありません。 前出したDeNAは、2016年、キュレーション事業拡大の勢いに乗って、自分たちにとっては未知の分野であるヘルスケア市場に参入し、大炎上しました。成長のスピードを何より優先するという成長志向に囚われてしまい、新市場の特質を軽んじてしまった結果だと思います。

成長志向の強い組織といえば、孫社長率いるソフトバンクが真っ先に挙げられます。ソフトバンクも携帯キャリア市場で急激にシェアを伸ばしたのですが、ついに成長が鈍化してきてしまいました。そして2015年、成長余地が大きい未開の市場、パーソナル・ロボット産業に参入し、成長を継続しようとしています。Pepperによる初動のスピード感はさすがとしか言いようがありませんでした。ただし成長が停滞した時に、組織としてのモチベーションを維持できているのかは、疑問が残ります。

企業にとって、成長志向気質が常に危険なわけでもなければ、新たな市場に参入することを否定しているわけではありません。新たな市場で新たな成長を遂げている成功例も数多く存在します。典型的な成功例は、Appleによる、iPhoneへと繋がるモバイル・プラットフォーム市場の開拓でしょう。またGoogle、Facebook、Amazonにも、そのDNAの中に、次々と新ビジネスを創出する成長志向が埋め込まれており、それがプラスに働いている気がします。

海外売上高比率が45%にもなったユニクロも、海外という新市場に進出して、成長を継続できている成功例だと思います。しかし、ユニクロも最初からうまく進出できたわけではありません。2001年にイギリス・ロンドンに海外初進出を果たした際、郷に入れば郷に従えと考え、安易にイギリスの老舗デパートでの勤務経験者を社長にしたところ、ユニクロ・ロンドン店は、非常に保守的な組織になってしまいました。そのため、ユニクロの持つ成長志向と相容れず、中途半端なブランドで売り上げも伸びないまま、撤退に追い込まれました。その後、この教訓を生かし、海外支店を作る場合は、ユニクロの持つ組織気質を踏襲し、かつ現地にも適応できるよう、本社からの人材派遣と現地での人材教育を徹底し、海外進出を成功に導くことができるようになったそうです。

このように、成長志向の強い組織が、その特徴を生かし、新市場を開拓していくことで、拡大し続けることは可能です。しかし、新たなる市場もいずれは飽和します。そうすると、また新たな未開の市場に臨まなければなりません。成長志向の高い企業は、常にリスクを伴ったベット(賭け)に勝ち続けなければならないのです。特に、世界的に経済が鈍化している現在、新市場進出によるリスクは高まっています。そして、豊臣家の朝鮮出兵のように、新たな市場での敗けをなかなか認めることができないと、組織が疲弊し、強かった従来市場でも旗色が悪くなるという怖い現実が待っている可能性があります。

4.安定志向組織への転換
〜日本史上最長の安定組織に学ぶ〜

さて、話を少し戻します。 組織の成長が止まりつつある時の対応策として、
ここまで、対応策②「次なるフロンティア市場で、成長を継続」した例を見て来ましたが、
対応策①「気質を成長志向から安定志向へと切り替える」という選択はありえないのでしょうか?

実は、これを見事に成功させた組織が歴史上あります。

徳川家康率いる徳川家です。 徳川家は、織田家、豊臣家とともに成長を遂げ、ついには、大阪夏の陣で、天下を手に入れます。 ここで徳川家も豊臣家同様に、日本の中での成長が見込めなくなりました。

家康が取った対応は、豊臣秀吉とは真逆のやり方でした。まず、関ヶ原の功労者であっても、成長志向の強い大名家を地方に追いやりました。福島正則や加藤清正がこれにあたります。一方、「武ではなく文の時代である」という号令のもと、武具の制作・手入れを行なっていた御細工所を、美術工芸品の制作・手入れを行う所に切り替えた加賀藩前田家を重宝し、筆頭大名として百万石を維持させました。

また、成長志向という気質が害悪であるという意識改革を徹底的に行いました。例えば、大名が髭を生やすことを禁止しました。髭はアグレッシブさの象徴であるため、まず見かけから変えていったそうです。そして、武士は様式を整え、人格を修養すべしという教育を行い、戦に参加することだけが武士の務めではないことを浸透させました。

家康が上手かったのは、組織に成長志向が蔓延している中、まず組織の“気質”を安定志向に変え、それから組織の“体質”である組織構造を安定型に変えたことです。その結果、徳川家は265年間も繁栄しました。

もちろん、この前提には、鎖国を引き、孤立化することによって、競争のない社会を保てたことが大きかったと思います。安定志向の徳川家は、競争にさらされると脆く、開国した途端に滅亡しました。安定志向組織は、外部からの刺激の少ないクローズドな環境を必要とするのかもしれません。

現代に振り返って考えてみましょう。 日本政府は、成長の限界を感じたからなのか、徳川家に近い政策を取っているように感じます。

政府は、企業が持つ、“あらゆる手段を使って、成長(growth)する事こそが優れた企業の証”という成長志向にブレーキをかけ始めています。更に従業員である個人の意識を、猛烈に働く企業戦士ではなく、ワークライフバランスを重視した、粋な社会人を目指すように誘導しています。

日本は、成長社会から成熟社会に変わろうとしているように思えます。 この中では、電通の鬼十則のようなアグレッシブな行動規範は、時代にそぐわないと判断されてしまうのかもしれません。

世界的に低成長社会となった今、日本だけでなく、同じようなことは世界中で起きています。成長志向には、オープンな競争環境であることのメリットが高かったのですが、安定志向には、成長する為の市場余地が必要ない為、競争を制限したクローズドな環境の方が心地よくなります。イギリスのEC離脱、アメリカのトランプ大統領誕生も、この流れだと思います。

これで本当に大丈夫なのでしょうか? 閉鎖的になり、自分達さえ良ければいいという組織のモチベーションは、真の安定をもたらすのでしょうか? 次回はさらにアカデミックな視点から組織のモチベーションについて考えてみたいと思います。

AKIO IIJIMA
1964年、山梨県生まれ。東京大学土木工学科卒業後、1987年電通入社。セールス・プロモーション局、メディア・コンテンツ計画局を経て、2008年よりCDC(旧コミュニケーション・デザイン・センター)。 新事業会社の設立、経営イノベーション支援、システム開発、 コンテンツ制作など、様々なプロジェクトのプロデュースを行う。 日本広告CMデータ共通管理システム「アドミッション」の開発、米国法人とのJV「ブライトコーブ・ジャパン」の設立、吉本興業とのJV「YDクリエイション」の設立、日本初のリアリティショー番組「バチェラー・ジャパン(Amazon Prime Video)」の企画・制作、Netflixオリジナルドラマ「宇宙を駆けるよだか」の企画・制作、「コナミスポーツクラブ」 「鶴屋百貨店(熊本県)」の経営イノベーション支援、スタートアップ企業事業支援など。